浄土宗と浄土真宗の違い ~法然上人と親鸞上人~

浄土宗と浄土真宗の違い、よくわからないという方も多いと思います
自分の家の宗派以外がどのようなことをしているのか、わからないのが今の世の中、
普通のことだとは思いますが、それでも結婚などで相手方が違った場合、
その流儀、礼儀を知っていた方が良いですよね^^
今回はその中でも、浄土宗と浄土真宗の違いについて、
まずは念仏の点から説明したいと思います

まず、世の中では「法然上人(浄土宗)は念仏が大事であると仰った
対して親鸞上人(浄土真宗)は信心が大事であると仰った」
という理解から、短絡的に違いを語ってしまう(財布が大事か、中身のお金が大事かという比喩等)方もいらっしゃるようですが、
実際は
名号を聞くといえども、これを信ぜずば、これを聞かざるがごとし。

これを信ずといえども、これを唱えずば、これを信ぜざるがごとし。
ただつねに念仏すべし。
(「四巻伝」三、「九巻伝」二)
法然上人が述べているように、念仏が大事というだけでなく、信じているならば
唱えることがそれを真に信じていることにつながるといったニュアンスで語っていますね

また、
弥陀の本願と申すは、名号をとなへんものをば極楽へ迎へんと誓はせたまひたるを、
ふかく信じてとなふるがめでたきことにて候ふなり。
信心ありとも、名号をとなへざらんは詮なく候ふ。
また一向名号をとなふとも、信心あさくは往生しがたく候ふ。
されば、念仏往生とふかく信じて、しかも名号をとなへんずるは、
疑なき報土の往生にてあるべく候ふなり。
詮ずるところ、名号をとなふといふとも、他力本願を信ぜざらんは辺地に生るべし。
本願他力をふかく信ぜんともがらは、なにごとにかは辺地の往生にて候ふべき。
このやうをよくよく御こころえ候うて御念仏候ふべし。
『親鸞聖人御消息』
と、親鸞上人が述べているように、親鸞上人も念仏が大事だと仰っています

ではなぜ、親鸞上人は念仏を大事に考えていないといったニュアンスが世の中にでまわっているのでしょうか
それには以下の文だけの情報で判断していることがあるようです

信の一念・行の一念ふたつなれども、
信をはなれたる行もなし、行の一念をはなれたる信の一念もなし。
そのゆゑは、行と申すは、本願の名号をひとこゑとなへて往生すと申すことをききて、
ひとこゑをもとなへ、もしは十念をもせんは行なり。
この御ちかひをききて、疑ふこころのすこしもなきを信の一念と申せば、
信と行とふたつときけども、行をひとこゑするとききて疑はねば、
行をはなれたる信はなしとききて候ふ。
また、信はなれたる行なしとおぼしめすべし。
『親鸞聖人御消息』(7)

少し難しいですが、念仏を唱えようとするということは、その時点でその信心は
成立しているのであって、念仏をとなえることで信心決定となると言っています
それでも、その後念仏は唱えることが重要で、ただし、
唱えようとした時言葉を発せない事故にあったとしても、救われるといった理解です

現代風に解釈して捉えると、念仏とは感謝の気持ち(阿弥陀仏への)であり、
それは言葉にするべき。 浄土宗での立場からはその感謝を日々唱えることで信心を得られるとしていて、
浄土真宗での立場からはその念仏を唱えようとした時に信心は得られるが、感謝の気持ちは
言葉に出してするべきだと言っています

細かい違いはあれど、どちらも感謝、ありがとうの気持ちをしっかりと持ち、
伝えましょうということだと捉えてください^^

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